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with five senses
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季節外れですが、封印していたクリスマス小話。
ようやく公開する気になりました。

♪ 柴田淳

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「ね、お腹すかない? 飲みに行こうか」
酷暑の中、駆けずり回って戻って来た営業部員は誰もみなぐったり。
それに気付かないこの所長は実におめでたい人だ。

「ヨメが飯作って待ってるんで …」
妻帯者は黄門さまの印籠のようなセリフを残して
そそくさと帰っていく。
残されるのはシングルばかり。

「なんで、うちの所長、単身赴任なんかしてるんだろうね」
ため息の代わりに、そんなぼやきが精悍な顔立ちに
疲労の色を滲ませている五十嵐の口から零れた。
「あの大きな身体に似合わない極度の淋しがりやと
 甘えん坊もなんとかしていただきたいですよね …」
こそっと暁子も便乗する。
「おっ、榎も言うようになったねぇ」
五十嵐がニヤッと笑う。
その表情はおそらく、総務の女の子たちが
セクシーだと噂していた表情ソレなのだろう。
しかし、暁子はただ、居心地悪く感じるだけで、
総務の女の子たちが何故あんなに騒ぐのか、わからない。
「だって、早く帰りたいですもん。」
10人女性がいれば、8人は頬を染めるだろうと言われている五十嵐の微笑み。
どうやら、暁子はその他2人のうちの1人だったようで、
断りきれない上司からの"誘い"という名の"命令・脅迫"に口を尖らせる暁子に
五十嵐は苦笑するしかなかった。

「あいつら、つっめたいな~。五十嵐とあきチャンは行くよね?
 何、食べたい? 夏はスタミナのあるものがいいだろうから、焼肉?」
独りで勝手に盛り上がっている所長には、
若者たちの憂鬱な会話は届いていない。

「これって、パワハラで本社に申告してもいいかな?」
「わたしは、そこにセクハラも追加していいですか?」

どこにする?と言いながら、店の名前を次々と挙げていく所長。
夏に限らず、冬でも「肉、肉」と言っているじゃないかとは
あえてどちらも突っ込まなかった。
ただ2人で、そっとため息を吐く。

"ルンルン"という文字が身体の周りに飛んでいるのが
見えそうなほどゴキゲンな所長の後ろを
ぐったりという言葉を引き摺る若い2人がしぶしぶ着いて行く。

「まだ、今日はマシだよ。
 榎が一緒だから、所長の奢りだろ。
 これがオレひとりだったら、きっちり割勘だからな …」
「お疲れ様デス …」
その言葉に"ご愁傷さまデス"という気持ちを暁子が込めたことは
おそらく五十嵐にも伝わっただろう。
「今夜は最大限、榎を活用させてもらうから。覚悟しといて。」
顔を寄せて囁かれた言葉は、軽い調子だったにも関わらず
暁子は背中がぞくっとして、微かに震えた。

テーブルの上には、所長セレクトの皿が所狭しと並ぶ。
カルビ、ロース、ハラミ、サガリ、丸腸 …
「あきチャン、遠慮せずにしっかり食べて、体力つけて。
 営業は身体が資本だからね~」
だったら、こんな社内接待もどきのことはやめてください
とは思っても、口が裂けても言えない暁子。
ホルモン系が苦手で、レバ刺しと塩タンを好んで食べる暁子には
この状況は拷問以外のなにものでもない。
「はい、ゴチソウになってマス。」
と笑顔で答えながら、暁子は肉に付いてくるカボチャやピーマンなどの
野菜ばかりを食べていた。それさえも、本当は食べたくないくらい
今夜も疲れているのだが …

目の前にある脂滴る肉のことで頭がいっぱいの所長は、そんな暁子に気付かない。
暁子は、一刻も早く所長の胃袋が満たされること、ただそれだけを切実に願う。
アルコールは一切、口にしていないのに、
ふーっと意識が飛んでしまいそうになる。
そこに座っていることさえ難しく、お世辞にもキレイとは言えない
店のこの板の間に突っ伏してしまいたいほど
切羽詰った状態になりつつあった。

「榎?」
店内の照明は暗いが、隣に座っていれば
顔色はわからないが、額や首筋に
変な汗をかきはじめていることは見てとれた。
最初から箸は進んでいなかったが、
今では明らかに手元がおかしい。
「大丈夫か?」
「ハイ」
五十嵐の問いかけに対する反応もなんとなく虚ろ。
早く帰る為に暁子をダシにしようとは思っていたが、
本格的に、暁子をこの場から連れ出してやらなければならない状況になってしまったようだ。

「所長、このままだと榎がここで寝ちゃいそうなんで
 今夜はもう帰りませんか?」
まだ肉をパクついている所長。
「あきちゃん、眠いの? 寝ちゃったら五十嵐に襲われちゃうよ~」
暁子は何か言いたそうな表情をしているが、
反発することさえも気だるいらしい。
胸中で「このセクハラオヤジッ」と毒吐いているだろうことは
容易に想像できるが、所長の発言も強ち間違ってもいないんだよなと
五十嵐は苦笑いを浮かべた。

実は、日頃から五十嵐は暁子に対して「付き合おうか」と言っている。
挨拶と同じくらいの頻度で言っているから
暁子も周囲も冗談と受け流しているようだが
これでいて、当の本人は本気も本気。大真面目なのだ。

「榎、独りで帰れるか?」
今夜は暁子がいるということで、五十嵐の予想通り、所長の奢りになった。
会計をしている所長より一足先に、暁子を連れて外に出た。
「ん~ … 代行で、帰ります。明日の朝も車がないと困るし …」
外気に触れて、暁子の気分も少し紛れたのか、
さっきよりも、しゃんとした声が帰ってきた。
「明日の朝って … 大丈夫なのか?」
「へーきですよ。これくらい。時々こういう日があるんです。
 朝になったらリセット。仕事に穴は開けません。
 バカ真面目だけが、わたしの取柄ですから。」
たまには休んでもいいんだぞと五十嵐が言葉にしようとしたところに
ほろ酔いで場の空気が読めない所長が現われた。
「あきチャン、明日もガンバッテ。五十嵐もね。」
今以上、暁子に頑張れというのは酷な話、と五十嵐は思う。
大抵の人間は、上司のこんな言葉はさらりと聞き流してしまうけれど
暁子に限って言えば、真正面から受け止めて、
必要以上の責任を感じて、走り抜けてしまうから問題だ。

「今夜はごちそうさまでした。」
ペコリと頭を下げた暁子がふらつく。
五十嵐は咄嗟に支えようとした結果、暁子の身体を自分の胸に引き寄せるカタチになった。
「あ~あぁ。ダメだよ、五十嵐。それ、セクハラ。」
暁子は、固くなっていた。
その緊張が五十嵐にも伝染し、変な空気がそこに流れる。

「アレ? どうかした?」
時間が止まってしまったかのように動かない2人に
酔っ払いオヤジ … 失礼、所長が、声をかける。
「 … 急に睡魔が … 運転できそうにないんで、代行で帰ります。」
先にフリーズ状態から抜け出して、反応したのは暁子。
ゆっくりと五十嵐から離れて、所長に弱々しい笑顔を向ける。
「そう? 気をつけて帰ってね。」
暁子の顔色の悪さに所長は本当に気付いていないようで
さっと手を上げて停めたタクシーにあっというまに乗り込んで
じゃあ、明日と2人を残して帰ってしまった。

「榎 … 大丈夫じゃないだろ?」
強がりが返ってくるだろうと予想していた五十嵐はびっくりした。
暁子が、首を縦に振ったからだ。
「もう、無理 … 」
「バカ。 こんなお前を見たら、抑えきれなくなる。」

五十嵐が4年目の春を迎えたその年、暁子が新入社員として配属された。
プライドが高そうな、自惚れの強そうな女だな、というのが第一印象。
実際、暁子の自惚れは強く、そのことで反感を買うような場面もあったが
壁にぶつかった時に、プライドの高さがプラスに作用し、頑張る姿に心惹かれた。
一方で、プライドの高さがマイナスに作用し、
頑張りすぎてしまう暁子の危うさが覗くたび、
受け止めてやりたいと思う気持ちが広がっていった。

暁子と出会って、もう3年になる。
暁子は入社当時とかわらないスタンスで仕事をし続けている。
その間、暁子に彼氏がいるという話は聞いたことがなく
「仕事が恋人」と言われ、本人も笑っている。
でも、このままでは壊れてしまうのではないか。
五十嵐は、ずっと気になっていた。
暁子が甘えてくるようなことがあれば、
いつでも甘えさせてやろうと思っているのに、
暁子はいつだって気丈に振舞っていた。

その暁子が、「もう、無理」と言ったのだ。
受け止めてやろうと思うより先に、身体が動いた。

暁子を抱きしめていた。

「少し休め。榎は、よくやってきたよ。」

暁子は五十嵐の胸で声をあげて泣いた。

♪ Salyu

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小さな誘惑に負けてしまったことを
こんなに後悔したことが今までに一度でもあっただろうか。

忙しい、が口癖のオレと彼女。
商社と小売店という立場で、ほぼ毎日顔を合わせて
話はしているけれど、それはあくまでもビジネス。
そういうところの線引きは、オレも彼女もきちんとしたいから
甘い雰囲気になることなんて、ほとんどない。
それでも、仲の良さはやっぱり滲み出てしまうもののようで
時折、彼女の店の人たちにからかわれることはあるけれど
その程度のものだ。

だから、プライベートで一緒の時間を過ごせるのは
本当に久しぶりのことだった。
今度、休みを合わせて少し遠出をしよう。
そんな話で盛り上がっていた時、彼女の携帯が鳴った。
「あ、ごめん。母親。ちょっと出てもいいかな?」
「あぁ、いいよ。」
「ごめんね。」
親元を離れて暮らしている彼女。
休みの日には必ず、ご両親から電話がかかってくると言っていた。
仕事がある日の彼女は朝早くて夜遅いから、どんなに心配していても
ご両親も電話しにくいのだろう。

「もしもし、おかーさん? うん、元気だよ~」
いつもより少し甘えたような声で話す彼女は、
リビングのソファを離れて、ダイニングへ向う。
しばらくは、その背中を見ていたのだけれど
やがてそれにも飽きて、さっきまで2人で頭を突き合わせていた
ローテーブルの上に意識を戻した。
そこには一緒に見ていた雑誌と開いたままになっている彼女の手帳。
少しだけ開けていた窓から流れてくる風がパラパラとページをめくる。

見てはいけない。
でも …
小さな誘惑に負けてしまったオレは彼女のスケジュール帳を覗いてしまった。

まだ空白の多い未来のページが開かれていたはずの手帳は
風のイタズラによって、1ヶ月前まで戻されている。
朝8時から夜8時まで30分刻みに商社やメーカーの名前が並ぶ。
もちろん、そこにはうちの会社名もある。
「忙しい」と言葉では聞いていたけれど
実際にヴィジュアルで突きつけられると改めてびっくりしてしまう。
まぁ、オレだって同じような生活を送っているのだけれど。

「うん、だいじょーぶだよ。忙しいけど、みんなそんなものでしょう?」
ダイニングでオレに背を向けている彼女が
電話の向こうの母親に言っていることが、
ちょうどいまオレが考えていたことと変わらなくて、なんだか笑える。
そんな些細な共通点さえも嬉しくなるから、
恋をするって不思議だ。

少しご機嫌になったオレは、何の気なしに、
再び彼女のスケジュールに意識を戻した。

あれ? なんだ、これ?

月曜日も火曜日も、いや正確に言うならほぼ毎日。
それは、22:30から24:00までだったり、
23:00からの1時間だったり、24:00からの10分間だったり。
彼女の几帳面な性格を少し怨みたくなった。

「どうしたの?」
母親との通話を終えた彼女が、いつのまにか戻ってきていた。
「ねぇ、毎日いそがしいんだよね?」
「まぁ、ね。でも、それはお互いさま、でしょ?」
言わない約束じゃない、とでも言いたそうな彼女の目。
「オレは毎日、忙しいよ。朝は7時から会議だし。
 夜だって7時からまた会議っていうことも珍しいことじゃない。」
「うん、知ってる。」
「でもさ、少しでも時間があれば、キミに会いたい。
 それが叶わないなら、せめて声だけでも聴きたいって思ってるのに …
 誰と毎晩、会ってるの?」
「えっ?」
きょとん、とした彼女。
だけど、一度、信じられないと感じてしまったら
その表情さえ白々しいと思えてしまう。
彼女がウソをつけるようなタイプではないと
誰よりも知っているはずなのに。
「オレはね、ずっと我慢してたんだよ。
 オトコの人を知らないって頬を染めて言ったキミを守ろうって思ってたから。
 キミが純粋培養で育ってきたと信じてたから。」

急に語気を強めたオレに彼女が怯えているのはわかっていた。
それなのに、もう、止められなかった。
これから言おうとしていることが、今までオレが守ってきた彼女を
汚く、ひどく傷つけるものであるとわかっていても。
「毎日、スゴイよね。
 驚いたよ、キミにこんなに体力があったなんて。
 まぁ、体力だけじゃないみたいだけどね。」
オレはこれ以上ないくらいの冷ややかな視線を彼女に向ける。
状況をまだ飲み込めていないらしい彼女は、
それでも、オレのただならぬ様子を理解しようとしているのだろう。
びくっと身体を震わせただけで、何も言わずにオレを見つめている。

「忙しい・疲れたを口癖にしているキミが、
 連日、深夜に顔を合わせている相手は誰?」
「そんな人 …」
嫉妬の鬼になっているオレは彼女の言葉に耳を傾ける余裕がなかった。
「いや、身体をって言った方がいいのかな?」
彼女がぎゅっと目を瞑る。堅く閉じられた眦に涙が滲む。
「どうして、そんなこと言うの?」
消えそうなほど小さな、彼女の声。
「どうして? キミが律儀に手帳に残すからいけないんだ。
 5日22:30~23:00 T・H、 6日23:00~24:00 T・H、8日24:00~24:10 T・H
一つずつ、拾い上げては読み上げる。
滲んでいた涙が、はらりと流れて彼女の頬を濡らす。
それでも、オレは彼女を責めることをやめなかった。
10日 22:00~24:00 T・H、12日 23:30~24:00 T・H
 随分 … 求められてるみたいだね。
 どうやらお相手は、一日でもキミが切れると耐えられないみたいだ。」
くっと喉の奥で笑って、ぐぐっと詰め寄っても、
彼女は逃げようとしない。頬を紅く染めるだけだ。

いつもの触れるだけのキスでは我慢できなくて、
震える彼女の唇を執拗なまでに堪能した。

嫌がらない彼女に苛立ちが募る。
「それとも、実は毎晩違うヤツなのかな?
 タカヒロ、タカシ、タケシ … 他には?」
思いつく限りのイニシャルTを挙げてみた。

「バカァ …」
オレにやり込められるままだった彼女がようやく発したのは、
そんな言葉で。
「毎晩、声を聴きたいって思うのは秦さんだけだよ?」

"Tel・Hata"


一日でも切れると耐えられなくて、連夜キミを求めているのは
他の誰でもない、このオレで。

彼女が几帳面に記録していたのは、オレとの通話時間。
オレからかけたり、彼女からかかってきたり。
"足らない、もっと"という気持ちが先行していたから、
こんなにたくさんの時間を積み重ねていたことに気付かなかった。

「通話時間を書いてるのはね、"もっと"って
 わがまま言わないようにするための戒め。
 秦さん、やさしいから …
 疲れていても、わたしが電話すると、相手してくれるでしょう?」

確かにいま、オレはひどい傷つけ方をしたはずのに、
それでも彼女はオレをやさしいと言う。

「ごめん。こんなにやさしくしてもらってるのに
 もっと甘えさせてもらいたいって思ってるわたしがいるの。」

謝らなければいけないのはオレの方なのに、
勝手に手帳を覗いて、プライバシーを侵害して、煩悩に支配されて、
妄想を膨らませて、嫉妬の炎を燃やしたのはオレの方なのに。

「秦さんがずっと我慢してたなんて、知らなかった … 」

手を伸ばせば触れられる距離にいる彼女に
こんなに淋しそうな顔をさせているその原因が自分であることがもどかしい。
いまでもまだ、その身体を抱きしめることを許してもらえるだろうか。

「ごめんね。」

立ち上がった彼女。このまま帰ってしまうのだろうか。

「でも、離れられない。」

オレの後ろに移動してきたのだとわかった次の瞬間、
頸に彼女の細い両腕が回された。
「そばに、いたいの。 そばに、いさせて?」

本当は、「そばにいてほしい」って言わせたかったけれど
それは、また今度。

「今夜、泊まる?」
背中に彼女の体温を感じる。
トクトクトクと早いリズムの鼓動は、
彼女のものなのか、オレのものなのか。

こんなことを訊いたら、困らせるだけとわかっているのに。
胸の前にある彼女の手をそっと撫ぜた。
「いいの? きっと … 我慢させるよ?」
「ちょっと辛いけど … いいよ。
 キミにそばにいて欲しいだけだから。」

♪ 黒沢薫

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「雨、降らないかな…」
トーストを齧りながら見る天気予報。

降水確率50%に願いをかける。

「お母さんは、やあよ。
 雨降ったら洗濯物は乾かないし
 お買い物行くのもたいへんになっちゃうし。」
一足早く食事を終えた父の食器を流しにさげながら母が言う。
「お母さんの言い分はすご~くよくわかるんだけど、
 晴れよりは雨がいいんだもん。」
あぁ、なんて子どもっぽいこと言ってるんだろう。

「そんなにイヤならさぼっていもいいから、水泳の授業。
 その代わり、雨乞いだけはやめてちょうだい。」
確かに水泳の授業はイヤなんだけど、
雨を期待しているのはそんな理由じゃない。
水着を着るのは相当キライだけど、
今年はもっと、ずっと切実な理由がるの。
まぁ、せっかく、さぼってもいいというお許しが出たから
テキトーに理由をつけて見学させてもらうよ。

お母さんには悪いけど、やっぱり、雨、降って欲しいな …

だって、雨が降ったら。
いつもは自転車通学の彼が、同じ電車に乗ってくるんだもん。
同じクラスだけど、こういう時じゃないと
ゆっくり話、できないんだもん。

ヒトの心は、天気と同じくらい移ろいやすいって
お母さんも知っているでしょう?
だから、許してくれないかな。
わたしが雨乞いをすること。

♪ CHAGE & ASKA

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あ、来た来た。

「いらっしゃいませ」

僕が声をかけると、彼女は少し微笑んだ。

「お好きな席へどうぞ」

名前も知らない。年齢もよくわからない。
学生なのか、社会人なのか、主婦なのか。
見当もつかない。
彼女について知っていることと言えば、
料理を待つ間に必ず一度はため息をこぼすこと。
食事はもちろんだけど、器や小物も楽しんでくれていること。
だけど、毎週金曜日の13時前後にしか現われなくて、
1時間以内に立ち去ってしまうこと。

そんな彼女の訪れを僕はいつも待っている。
常連さんと呼べるお客さんは他にも何人かいるのに
彼女だけが僕の関心をさらっていく。

今日も彼女は、窓際にある一輪挿しを見つめて、ため息ひとつ。
小さな紫陽花が開け放した窓から流れてくる風に揺れている。
この花器を彩る命が向日葵に変わるころには
僕はもう少し、彼女の近くにいけるだろうか。

「ごちそうさま」

お代を置いて、今日も彼女が帰っていく。

「ありがとうございました」

限定10食のランチ。
金曜日は彼女が来るとわかっているから、
こっそり1食分確保してある。

オーナーの権限。これくらいはいいよね。
いつか彼女がため息をつかなくなる、その日まで。
僕はこの場所を彼女のために用意し続ける。
待っているから、またおいで。

♪ Chage & Aska

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待ち合わせの時間はPM2:00
現在の時刻はPM1:00

オープンテラスで食後のエスプレッソが運ばれて来るのを待っている間にメールする。

"B2駐車場C-5シルバーのセダンにて待つ"

デミタスカップをあっという間に飲み干すと
電子マネーで手早く会計を済ませ
地下駐車場へのエレベーターに乗り込んだ。

PM1:45

携帯を何度も確認してみたり
バックミラーでヘアスタイルをチェックしてみたり
ドキドキというよりは、そわそわしていた。

また、入庫を知らせるブザーが地下に響く。
そろそろ来るのではないかと思うから
本当は気になっているのに
相手にそれを悟られたくなくて、無関心を装う。
この時間ときをすごく楽しみにしていたなんて
受取られたら、悔しいじゃない。

足音が近づいてくる。
通り過ぎるのか、それともここで止まるのか。
息を潜め、相手の出方をうかがっているなんて
まるで刑事ドラマの登場人物にでもなったかのような気分。

そして、足音は止まった。

あなたが現われるのを今か今かと待っていました
なんて思われたくなくて、いつのまにか閉じていた瞳をゆっくり開く。
顔の向きを正面に固定したまま、目だけを右に動かすと
濃紺の麻のスーツにパステルブルーのシャツという
実に爽やかで清潔感あふれるいでたちの男が
まさにこの運転席の窓を叩こうとしているところだった。

ゆっくりと首を右に回すと10人いたら7人は感じがいいと思うであろう
笑みを浮かべた男と目が合った。

連れて歩くには申し分ない外見。

わたしは彼のシャツにしっかりアイロンがかかっていることと
靴が丁寧に磨かれているものであることをチェックする。
それと同じように彼が、わたしの毛先、指先に視線を走らせるのを感じた。

お互い笑顔を貼り付けて、相手の様子伺いをしている。
穏やかな表情の中に混在する緊張感。

選ぶ権利は、わたしだけじゃなくて貴方にもあるから、仕方ないわよね。

少し不躾とも思える彼の視線にわたしは耐える。

けれども次の瞬間、わたしは顔を赤くすることになる。
ドアを開けて車を下りたわたしに彼は言ったのだ。

「どういう風の吹き回し?」

怒りたいのに恥ずかしくて、悔しいのに図星だから
何も言い返せない。

「慣れてないよね? いや、それどころか初めて、なんじゃない?」

「だったら?」

面倒だ、とでも言いたいの?

「今日の相手がボクでよかったね。 さ、行こうか。」

わたしの顔色などお構いなし、と言わんばかりの
さきほどまでの変わらない笑顔で、彼は先に進もうとする。

一方のわたしは、一歩を踏み出すことが出来ず、
どうしたの?と視線だけで問いかけてくる彼に苛立ちをつのらせる。

そんなわたしを見て楽しんでいるだろう彼の横をすり抜けようとして
咄嗟の思いつきで、軽く触れたその腕に自分の腕を絡めてみた。

予想外のわたしの行動に彼は驚いていたけれど
わたしだって、思いがけず相手の端正な顔を近くに感じることになって
びっくりしていた。

「急がないと時間に遅れるよ?」

「あぁ、うん。」

歩き始めたわたしたちは、きっと何の違和感もなく
街の風景に溶け込んでいる。
たぶん誰も気付かない。

2人が週に一度の恋人であることになど。

♪ DREAMS COME TRUE

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《続・stay with me》

オフィスのドアを開けた。
いつものように「お疲れ様でーす」と言おうして、
言葉を飲み込んだ。

「お前に何かあったら、オレが絶対にかばってやるから。
 な? だからもう泣くな。
 しょーもないヤツの為に雲住が涙を流すなんて
 もったいないだろう。」

上司が部下を慰めている。
別に珍しいことじゃない。
よくあることでもないけれど、時々こういう場面に
居合わせてしまうことはある。

静かにしていれば、自分のデスクで仕事を再開しても問題ない。
それなのに、入って行けなくてその場に立ち尽くしてしまったのは
息を潜めて、まるで盗み聞きをするような姿勢になってしまったのは
それが男が女を口説いているかのように聞こえたからだ。

慰めている上司は寺神課長。35歳の愛妻家。
泣いているのは新人の時乃ちゃん。少し性格がきつめのオンナノコ。

だから、オレが想像しているようなコトはありえない。
こんな風に思ってしまったなんてことが
他の連中に知れたら、オレが笑われるか
あるいは勘のいいやつなら、オレをからかうネタにされるだけだろう。

寺神課長の言葉には力がある。
俺だって新人の頃は寺神課長に何度も救われた。
当時は課長ではなく、寺神係長だったけれど
この人を信じてついていこうと思わせるオーラは
既にその時からあった。

泣くまいとするのに、寺髪課長の言葉が心にしみるから
時乃ちゃんは涙と嗚咽を堪えることが出来なくなっていた。

音を立てないようにそっとドアを閉めてエレベーターホールに戻る。
自動販売機でオレンジジュースを2本。
そして、ブラックコーヒーを1本、買い足して
再びオフィスに足を向けた。

「ほら、化粧直して来い。」
「ハイ。」

パタパタと靴音がして、扉が開いた。

「あ … お疲れ様です。」
彼女は俯いて涙に濡れた顔を隠した。
まぁ、会社の人間に泣き顔なんて見られたくない
と思うのが普通だよな。
「ん … お疲れさん。」
気付かない振りをして、オレは彼女とすれ違った。

「おぅ、お疲れぃ」
「お疲れ様です。」

このあとの態度を決めかねているオレを
無理に明るい声で向かえたのは寺神課長。

「時乃ちゃん … 大丈夫ですか?」
「あぁ。あぁ見えて強いからな、雲住は。」

オレが尋ねると、寺神課長はドアの向こうの
見えない小さな背中に暖かい眼差しを注ぎながら
ふっと笑った。

うちの会社に正社員で採用されるオンナノコは
みんな少し気が強い。
まぁ、そのくらいでないと男社会のこの業界では
競合メーカーと肩を並べて張り合っていくことなんて
出来ないのだから当然の傾向とも言える。
時乃ちゃんだって、例外ではない。

だけどいつも不安そうで、
この娘は1人で大丈夫かなと心配になる。
時乃ちゃんが頼りないというわけではない。
しっかりしてるし、頑張りやさんだし。
でも、だからこそ、無理しているのではないかと
気がかりなのだ。

「ブラックでよかったですよね?」
「おぅ、気が利くな …
 と思ったが、雲住に買ってやったついでか」

オレが左手に2本持っているオレンジジュースを見つけた
寺神課長がニヤリとする。

「逆ですよ。雲住がついでです。」

ムキになって言い返したら、
はい、そうですと言っているのと同じことなのに。

「いいねぇ~、若いって。」
「課、課長~」
「あ、俺は帰るから。
 後、雲住のこと、ヨロピク」

すご~く嬉しそうな顔で、
あっという間に飲み干したコーヒーの缶をオレに押し付けて
寺神課長は帰ってしまった。

メイクを直して戻ってきた時乃ちゃんは
オレに背を向けて座った。
気まずいことこの上ない。

「オレンジジュース、飲む?」
背後から時乃ちゃんの頬にピタッと缶を当てると
「きゃっ」と小さな声がこぼれた。
こんな咄嗟の時に、「うわっ」じゃなくて
「きゃっ」と言えるところが、かわいいと思ってるなんて
当の時乃ちゃんは気付いていないだろう。
そういう意味で、ズルイ。

なんだか、いつも、オレばっかり …

「ありがとう、ございます。」
「ん、それ飲んで元気出すんだぞ。」
「すみません、気をつかっていただいて」
「いーの、いーの。これくらい。
 先輩として当然のことをしてるだけだから。
 時乃ちゃんが一所懸命やってるのは
 会社の人間はみんな知ってるし、
 寺神課長を信じてれば、大丈夫だから。」
「はい …」

ようやく時乃ちゃんが笑った。
オレがここまで必死になっている理由。
わかってるのかなぁ、わかってないんだろうなぁ …

♪ 松たか子


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