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with five senses
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「独りでいることに慣れたらダメ。
 誰かに甘えることを覚えなきゃ。」

退勤時にはいつもぐったりしているわたし。
夕食を食べることさえ面倒で、
早くベッドで眠りたい。
夕方頃からは、それしか考えていないような生活。

そんなわたしに、最近やたらと絡んでくる人がいる。
法人営業部の湯丘さん。
リテール営業部のわたしとはあまり接点がないはずの人。
あえて共通点を探すとしたら、同じフロアにデスクがあることと
営業を仕事にしていること、くらいしか思いつかない。

そんな湯丘さんは、夜のオフィスでわたしを見つけると
オレンジジュースをくれるようになった。
「仕事ばっかしてると、お肌がボロボロになっちゃうよ。」
いつも貰ってばかりでは悪いからと言うわたしに
「いいのいいの。これくらい。」
と頑としてお金を受け取ってくれない。
残業をしている他の人に湯丘さんが差し入れしているのは
見たことがないけれど、それは、
湯丘さんより若い社員がわたしだけだからだろうと
深く考えないことにしていた。

その考え方に不安を感じ始めたのは、
わたしがなかなか終わらない仕事に
なんとかメドをつけて、帰宅の準備をはじめる頃を
見計らったかのように、食事や映画の誘いを受けるようになったから。

最初は、屋台のラーメンだったと思う。
「こんな時間に帰って作るのって面倒でしょ。
 一緒に晩飯食わない?」
夕食はあまり食べないなんて正直に答えてたら
これから毎晩でも誘われそうな気がしたから
何も言わずにその夜は付き合った。
箸が進まず、どんぶりの中の汁がなくなり
麺でいっぱいになる。
「ラーメン、嫌い?」
あまり好きではないのだけれど、
「何、食べる?」と聞かれたときに
「好き嫌いはないんで何でもいいですよ」と答えてしまった手前、
そうとも言えず。
力なく笑いながらわたしは言った。
「深夜にこってりとんこつは胃にもたれます」
だから、もう、誘わないで。
言外に滲ませたつもりだった。

「じゃあ、今度からは蕎麦かうどんがいいかもね。」

湯丘さんは勝手にひとりで納得してしまった。

それから、蕎麦もうどんも食べに行った。
おでんのこともあれば、居酒屋だったこともある。
いつのまにか、湯丘さんに連れまわされるのが
当たり前になっていた。

それでも夜は、一刻も早く独りになりたいと
思う日々が続いていた。
食事だけでは終わらなくなって、
レイトショーやカラオケまで付き合わされるようになっても
わたしにとっては、仕事の一部でしかなかった。

だけど、わたしの中に、湯丘さんの存在は
着実に入り込んできていたのだ。
それに気付いたのは、社長が突然打ち出した
新プロジェクトで法人営業部が忙殺されそうなほど
会議や企画書・報告書の作成に追われ始めた頃。

付きまとってくる存在から解放されて、安心した。
業務さえ終われば、真っ直ぐに帰宅できる日々を
取り戻して喜んでいた。
1ヶ月くらいは。

季節が一つ、通り過ぎようとしていた。
心が不安定なのはそのせいだと思っていた。
独りでいられない女になったなんて認めたくなかった。
これが恋だということに気付かなかった。

「独りでいることに慣れたらダメ。
 誰かに甘えることを覚えなきゃ。」

そう言っていた貴方が
わたしを独りにしてるじゃない。

泣きたいほど切なくなって
はじめてこれが恋だと知った。
もっと甘いものだと思っていたのに
なんて苦いんだろう。

「オレンジジュース、買ってきたんです。
 お肌、荒れちゃいますよ。飲んでください。」

♪ 松たか子


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ゲストのみなさまへ
ささやかなクリスマスプレゼント(?)


街はいつもの3倍くらいの人で混み合っている。
特にデパ地下はひどい。
目的の店にたどり着くまでに、
何人の人にぶつかったか数えられないほどだ。
老いから若きも関係なくカップルが溢れているのも仕方がない。
今日はクリスマスなのだから。

シャンパンと8cmのホールケーキを買って
デパートを出る頃には、それらを今夜、
口にすることを考えたくなくなるほど疲れていた。
イチゴにしようか、チョコレートにしようかと
悩んでいたときは、あんなに楽しかったのに。
そして既に後悔をし始めていた。
コンビニの缶チューハイでよかったのに
ハーフボトルのシャンパンを買ってしまったことを。
1カットだけでよかったのに、
ホールで買ってしまったケーキのことを。

独りでもクリスマスを楽しむ権利はある。
そう思って、ひときわ華やかな街に出た。
シャンパンとケーキを食べよう。
少しだけの贅沢。自分へのご褒美にしよう。
思いついたときには、名案だと思ったのに、
既に心が沈み始めている。
これから冷たく狭い誰もいない部屋に戻らなければならないのに。

「結局、今年もカレシ出来なかったな …」

地下街に鳴り響くクリスマスソングの歌詞が
何度も頭の中でリフレインする。

もう少し幼ければ、あるはもう少し年齢を重ねれば
コイビトがいなくても当たり前と思ってもらえるのに。
自分の若さが恨めしくなる。
たしか、大学を卒業するまでは、こんなわたしだっていつかは
と淡い夢を描いていた。
それが、いつからだろう。
両親・祖父母以外から愛されることを諦めるようになったのは。

街が愛で溢れる日。それがクリスマス。
こんな日には、イヤでも思い出してしまう。

自分に自信が持てなくて、好きになれなくて
もがき苦しんでいた高校生の頃。
初めてコイと呼べるような想いを抱いたその人に
はっきりと言われた言葉は心の底に沈んでいて
決して消えることがない。

「自分のことが嫌い?
 一生をかけて自分のことを愛してくれるのは自分しかいないだろ。
 その本人に愛想を尽かされてるんだから、
 本当に淋しいヤツだよ、お前は。
 自分のことを愛せないヤツは
 他人から愛される資格なんてないと思うよ。」

その時、わたしは初めて知ったのだ。
愛されるためには資格が必要だということを。

今日は、すべての人は無条件に愛される
という信仰をもつ宗教のイベントなのに
こんなことを思い出してしまうだなんて、
とんでもない皮肉だ。

「ねぇ、独りで食べるつもりなら、
 今夜、俺と一緒に過ごさない?」

普段のわたしなら、絶対にそんな言葉は
さらりと無視してドアを閉めただろう。
だけど、今日に限って、
隣の部屋のドアに寄りかかるそこの住人は
天使のような微笑でわたしの冷え切った心を
すっぽり包み込んでしまったのだ。

「メリークリスマス」

頷く代わりに、世界で2番目にしあわせな言葉を返して
ドアを開けて、彼を招き入れた。

「大好きだよ」

世界で1番しあわせな言葉の1つは彼からわたしに与えられる。

信じてもらえないかもしれないけれどね、
とわたしが買ってきたシャンパンを飲みながら彼は笑った。

♪ The Temptations

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平均年齢が26歳という社内でも1,2の
若いメンバーばかりの営業所。
その多くが新婚さんで、所内もなんとなく幸せ感に
満たされているのが好きだ。
プライベートが充実している人たちは、
心に余裕があるから仕事も順調で、
すっかり彼らに助けられていると思う。

直帰が認められているから
夜のオフィスに戻っているのは独身の人間ばかりだ。
加えて今日は金曜日で3連休前。
わたしの指導係である鵜飼さんは、
遠距離恋愛中のため、今夜はフロアのどこを探してもいない。
きっと今ごろ、大阪に向かう新幹線の中だ。
3時間半の距離を躊躇うことなく近いと言い切って
連休の時には必ず、通常の休みしかない月だって
1回は必ず大阪へ行く鵜飼さんからは
彼女への想いの強さを感じられる。
それだけ想われている彼女も、
それだけ想う人にめぐり合えた鵜飼さんも羨ましい。
わたしなんて、新幹線で1時間のところにある実家を
遠いと言って敬遠しているというのに。

29歳、新婚ほやほやの係長は当然直帰だし、
指導係の鵜飼さんもいない。
課長も帰っているし、同じ3課の人で
オフィスにいるのは1年先輩の竹中さんだけ。
しかもその彼女は、ご自身のクレーム処理に追われていて
声をかけるのが躊躇われるほどパニック状態に陥っている。
営業1課は課長を残して全員帰社。
営業2課では鵜飼さんと同期の井尻さんと竹中さんと同期の武村さんが
わたしの同期の都ちゃんを夕食に誘っているところだった。
いま、仕事の相談をしたら、露骨に嫌な顔をされるに違いない。
井尻さんたちに睨まれるのは怖いから、いま悩んでいる件は
月曜日に鵜飼さんに訊くことにして、もう帰ろうと思い直した。

それなのに、助けを求めるように彼女が
こちらに振り返るその瞬間、
わたしは咄嗟に手元の資料に目を落とした。
「南野さんはまだ仕事が残ってるみたいだしさ。行こうよ、都ちゃん。」
井尻さんが都ちゃんに笑顔を向けている。
声が大きいから、営業所中に聞こえてしまう。
都ちゃんは少し俯き加減だ。
わたしの位置からは後姿しか見えないが、困っているのはよくわかる。
彼女が井尻さんは少し苦手だと言っていたのに、
どうしてわたしは彼女の視線から逃げてしまったのだろう。

理由は考えなくてもわかっている。
都ちゃんを助けると思って、何度か2課の飲み会に顔を出したことがある。
そのとき、完全にわたしは邪魔者だったのだ。
井尻さんも武村さんも、都ちゃんしか目に入っていなくて
甲斐甲斐しいほどに彼女の世話を焼く。
当の都ちゃん本人は困ったような顔の間に
迷惑そうな表情をのぞかせているのだが井尻さんたちは気付かない。
「飲み物は大丈夫?」
「何が食べたい?」
「今度はイタメシに行かない?」
次から次に問いかける。
確かに都ちゃんはキレイだ。
チャーミングな女の子で、同性のわたしでさえ
その瞳に見つめられたらドキドキしてしまうほど魅力的。
だから、井尻さんや武村さんが都ちゃんをかまいたくなる気持ちは
悔しいけれどとてもよくわかる。
わかるけれど、丸っきり相手にされないと、
わたしの中のオンナの部分が傷つくのは避けられない。
これ以上、傷つきたくない。
都ちゃんと2人で過ごすのは嫌いじゃない。
来週は、紫芋のタルトを食べに行く約束をしている。
だけど、他の誰かも一緒にどこかに行くのは疲れる。
小さな、醜いプライドが邪魔になる。

わたしはPCを立ち上げて、鵜飼さんにメールを作る。
【おつかれさまです。阪神優勝で盛り上がっている大阪はいかがですか?
 来週火曜日実施の製品説明会の件で、ご相談したいことがあります。
 お忙しいと思いますが、月曜日の朝礼前にお時間いただけますか?】
短い文面を何度も読み直す。
意味も無く忙しなく資料のページをめくったりしてみる。
都ちゃんにごめんと心の中で手を合わせながら、
仕事に追われている風を装った。
2課の人たちがオフィスを出るのを確認してから、
送信ボタンをクリックする。
電話で本社に問い合わせをしている竹中さんと1課の課長に挨拶をして
営業所を足早に後にした。

営業所からマンションまでは車で約15分。
車を置いて、部屋に戻って、スーツを脱いだ。
着替えて、簡単にメイクを直して外に出たのが12時。
遅くなっているのはわかっていたのに
どうして着替えようと思ったのだろう。
いつもなら車を停めたらすぐに"Otis"に向かうのに。

一歩踏み出すたびに、スカートが揺れる。
いつも歩く道なのに、なんとなく心もとなくて
カツカツとロングブーツのヒールが刻む音が加速していく。
"Otis"に着いてはじめて、息が上がるほどの速さで
歩いてきたことに気付いた。

「遅かったですね。待ってましたよ。」
わたしの姿を認めたマスターがふわんと微笑んで、
DJブースに一番近い席をすすめてくれた。
スツールに腰掛けたところで、店のドアが開いた。
近くの業務用スーパーのビニール袋を手にした隆さんが立っていた。
「あ、いらっしゃい。」
わたしを見つけた隆さんが軽く頭を下げる。
「こんばんは。」
「今夜は遅かったんですね。お疲れ様です。」
そう言いながら隆さんは買ってきたものを冷蔵庫に収めるために
店の奥へと消えていった。
ちゃんと微笑み返してくれたのに、
自分の中に小さな不満が生まれたことが不思議で、
首をかしげながら当たり前に出されたミモザを口にした。

グラスの淵には、今日もオレンジではなくミントが添えられている。
ツンと鼻の奥を刺激する香りが少し切なかった。

「次は、ミントコンディションでいい?」
グラスが空いたことに気付いたマスターが声をかけてくれる。
「今日は、ヴィヴァーチェをお願いしていいですか?」
隆さんが先週かけた"Breakin' My Heart"を思い出して、
いつもとは違うオーダーをした。
「珍しいですね、辛口ですか。」
甘いものが好き、というわけではないけれど
辛口よりは甘目のものを好んでいるわたしだから
マスターが驚くのも当然なのかもしれない。
わたしのアルコールの嗜好を一番よく知っているのは
マスターなのだから。

「ちょっと、元気出そうかなって思って。」
答えたわけではない。
自分に言い聞かせるようにわたしは言った。
明日を迎えるには、自分ひとりではつらすぎる。
少し、力を借りたかった。

「聡美さんも、そういう飲み方する日があるんですね。
 知らなかったな~」
いつのまにか隆さんが奥から出てきて、
マスターの隣に立っていた。
「… 何か、ありました?」
ほんの少し、迷いを見せた後、彼はわたしに訊ねた。
何か、あっただろうか。
カウンターに右肘をついて、頬を乗せ考えてみる。
井尻さんや武村さんがわたしを眼中にいれていないのは
いつものことだ。
赴任してしばらくは気にしていたこともあるけれど
いまでは悔しいけれどその状況に慣れきっている。
他に …

「スーツ姿じゃないってこともあるんですかね。
 オーダーも少し違ったりするし、
 今日の聡美さん、いつもと違って見えますよ。」
マスターがヴィヴァーチェを出してくれた。
ああ、そうか。
わざわざ着替えてきたのに、
そのことに触れてもらえなかったから
いじけていたのだ、きっと。
気付いたけれど、自分からは言いたくなかった。
『今日はスーツ脱いできちゃいました。』
そう言うことで、「似合ってますね」という言葉を
隆さんから引き出すなんてしたくなかった。

自然に、当たり前のように、
気付いてくれなきゃ意味が無い。
いつものように、わたしが期待する言葉を
望むタイミングで与えてくれなきゃ意味が無い。
気付かせたいんじゃない。気付いて欲しいんだから。
言わせたいんじゃない。言って欲しいんだから。

これは恋愛感情ではない。
… まだ、違う。
でも、彼の存在を必要としていることは確かだ。
わたしは隆さんにミッドナイト・サンをオーダーした。

♪ Smokey Robinson & The Miracles

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Quit breakin' my heart ...

「金曜の夜なのに合コンの誘いとかないんですか?」
毎週金曜日。
わたしはルーティンワークのように、ここ"Otis"に来て
決まったドリンクを決まった順序でオーダーする。
彼の疑問は彼氏がいないわたしに向けられるには
当たり前のものなのかもしれない。
そういう質問をすることをスタッフである彼が
あまり躊躇しないくらい、ここに通いつめている。

1杯目はミモザ。
いつもならフルートグラスには
櫛切りのオレンジが添えられているのに
今日はミントが浮かんでいる。

今夜は少し違うようだ。

「誘われたことないんですよ。」
ほんの少しの違いに気をとられていたわたしは
いつもなら仕事が忙しくてと交わしてしまう
その問いかけに、真面目に答えてしまっていた。
彼は珍しいわたしの返事に驚いたかもしれない。

「… 誘われたら行きます?」
少しの間があって、彼はわたしに訊ねた。
「そうですね~」
実際に誘われたら断るかもしれない。
だけど、ここで行かないと言ってしまえば
話が続かなくなるのはわかっている。
こんな時まで、営業思考になっているのだから
相当な仕事中毒かもしれない。

「断ってないのになんで誘われないんですか?」

「女として見られてないんです。」
彼がこんなに重い答えを期待していないことは
わかっていたのに、つい零れてしまった。
ずっと感じていたことだけど、言葉にしたら、
チリッと痛んだ。
「聡美さんが男扱いされてるわけないでしょ?」
猫かぶって生きているし、身体の作りも大きくないから
彼が驚くのも無理はない。
「男でもない、女でもない、ニュートラルな存在。
 傍にいれば、便利な都合のいいヤツ。
 そんなところじゃないですかね。」

アルコールは好きではないけれど強い方だと思っていた。
しかもまだ、1杯目のミモザを飲み終わったばかりだ。
それなのに、自棄になって、こんな告白をしてしまうなんて、
そして自分で発したその言葉にこんなに傷ついてしまうなんて
今夜は酔ってしまったのだろうか。

いつもなら、音楽の話をして、カクテルの話をして。
キャリアの話をして、それなりに自尊心をくすぐってもらって。
愛だの恋だの。そんな話は一度もしたことがなかった。
彼の手元が止まっていたのは、わたしらしくない話題に
驚いたからに違いない。そして、自虐的なその内容に
どう反応したらよいのかがわからず戸惑っているのだろう。

「魅力的な女性だと思いますよ。
 アプローチに気付いてないだけじゃないですか?」

2杯目のミントコンディションと一緒に差し出したその言葉は、
きっと彼の精一杯。
男の人ってみんなそう言うのよね。
そして、言いっぱなし。
少しでもわたしのことをイイオンナだと思ってくれているなら
今までずっと彼氏がいないなんていうこの現状はありえない。

「そう言ってくれる人は、たくさんいるんですどね~」
フルートグラスに一口残っていたカクテルをグッと飲み込んだ。

「せっかくの音楽とアルコールが台無しになっちゃいますから
 この話はもう終わりにしましょう」

わたしが営業スマイルを浮かべると、彼は何か言いかけたのだけれど
マスターに促されて、口を噤んでDJブースに入った。
店の客は、わたしだけではない。
ここ"Otis"は小さなお店だけど、とても繁盛しているのだ。
どんなに馴染みであっても、専属になってもらうわけにはいかない。

レコードを物色していた彼が、マスターのたくさんのコレクションの中から
一枚をピックアップした。
サイドプレーヤーでヘッドフォンをして、その中の1曲を探している。
左手をヘッドフォンの上から耳に添えて、右手でディスクを操る
その仕草はセクシーでいつもわたしは見惚れてしまう。

彼のセレクトは"Breakin' My Heart (Pretty Brown Eyes)"

ミントコンディションをついさっきまで飲んでいたわたしには
痛いような切ないような選曲だ。


Quit breakin' my heart
Breakin' my heart, yeah ...
聴こえるか聞こえないか位の声でそのフレーズをなぞる。
じわりと涙腺が緩んでいくのがわかった。
「聡美さん、泣いてもいいよ。」

彼の細い目はさらに細くなって、わたしに向けられている。
「隆さん、わたしに意地悪してます?」
彼の一言が本当はうれしかったのに、やっぱり突っ張ってしまう。
「俺、聡美さんにはめちゃくちゃやさしくしてるのに
 そんなこと言うんですか?心外だな~」
「普段の行いのせいじゃないのか、隆。」
ぷぅと頬を膨らませた彼をマスターが面白がっている。
そこに生まれるあたたかさがわたしを溶かす。
自然とこぼれた笑みが2人に見つかって、
わたしは少し恥ずかしさに頬を染める。
こういうとき、ほの暗い店内は都合がいい。

「隆さんは、やさしいから意地悪なんです。
 期待しちゃうじゃないですか。」

わたしが全てを言い終わる前に、
マスターは他のお客さんのオーダーで、そこから離れていた。
小さな本音を聞いていたのは、彼だけ。
軽く肯定の返事をもらえると思っていた。
客であるわたしを気分よくさせるのが彼の仕事だから。
隆さんは、わたしが欲する言葉を望むタイミングでくれる人だ。
今夜もいつもみたいに「相変わらず口がお上手ですね」って
わたしが言えば終わりになるはずだった。
何も変わらず、これまで通りに時が流れることを疑いもしなかった。

「期待、していいよ。」
予想通りの言葉だったけれど、その低い声音は想定外だった。

「ミッドナイト・サン、作ってもらえます?」
聞こえなかったふりをしてオーダーした。
「え?」
まだ早い。きっと彼はそう思ったのだろう。
ミッドナイト・サンはわたしの締めのドリンクだ。
「わたしがこんな時間に帰ったらおかしいですか?」
確かに、いつもの金曜日なら、こんな時間に帰ったりしない。
さすがにクローズまで、とは言わないけれど、
日付が変わる頃はまだ、マスターや彼と音楽の話に
花を咲かせているのが常。
だから、まだ23時を過ぎたばかりの時計をみて
彼が驚くのは当然の反応なのだけれど。

「隆さんは忘れているかもしれませんけど、
 わたし、まだ23なんですよ。
 早くおうちに帰らなきゃ怒られちゃいます。」
騒ぎ始める胸に戸惑いながら、精一杯おどけてみせた。
「最近、実家を敬遠してる悪い娘(こ)がいまさら何言ってるんですか。」
淵にレモンスライスが挿されたグラスが目の前に出される。
「わたしが悪い娘こなのはココにいる時だけです。
 社会ではエリート、家族の間では良い娘(こ)で通ってるんですから
 誤解しないでくださいっ」
わたしはすぐに、一口含んだ。

「そういえば。まだ23なんですよね。」
彼はわたしに丁寧語で話をする。
スタッフと客という関係だからなのだと解釈していたのはわたしだけで
彼の方は、わたしが10歳も離れているとは思っていなかったからだという。
彼が少年の気持ちを大切にしているからなのか、
わたしがすっかり老け込んでいるからなのか、
その理由はあまり考えたくない。
滅多にしない過去の話をしているときに、会話が噛み合わなくて
ようやく年齢差に気付いたときの彼の顔は今でも忘れられない。
「なんでそんなに落ち着いてるかな~。
 年齢詐称で本当は30ってことないですか?」
「ないです~」
口を尖らせて上目遣いで睨んでやった。
だって、失礼じゃない?
「そういうところは、たしかに23かも。」
彼はふっとやわらかく笑った。
「お会計、お願いします。」

スツールから降りたとき、少し足元がふらついた気がしたけれど
なんとかその場に踏みとどまった。
今夜は少しペースが早かったから、
酔いが回ったのかもしれない。
これくらい、いつもは平気なのに。

"Otis"からマンションまでは約1km。
いつもなら酔いを覚ますついでに歩く道のりを
初めてタクシーを使って帰った。

♪ Mint Condition

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《続・No One Else Comes Close》

「おくちゃん、元気?」

金曜の夜。
部屋にまっすぐ帰ろうとする人間は少ない。
1階ロビーは今夜や週末の予定の話に花を咲かせる人たちで溢れている。
こんなときに俯いて歩いてるわたしに声をかける人物なんて一人しかいない。

「うん、だいじょーぶ。今週は忙しかったからちょっと疲れてるけど。」
少し無理して笑うとやまちゃんは、そやなーと言いながら肩をぐるりと回した。
「ほな、来週」
「お疲れさま~」
結び目に指をかけて、ネクタイを緩めているやまちゃんに手を振った。
ほんの少し、淋しいと思ってしまったのは、ここにいない彼を求めてしまったから。

「奥沢さん、元気?」
彼もよく訊いてくれた。
「はい、大丈夫です。」
「本当に?危なっかしくって放っておけない。」
そんなことを言われたのは初めてだった。
その瞬間、彼はわたしの特別になった。

家族のことを悪く言わないわたしに、
彼は「愛されてないって思ってるんだね」って言った。
他の人はみんな、「本当に家族が好きなんだね」って言うのに。
「そんなに苦しいなら、家族と離れて暮らせばいいのに。」
びっくりして溢れた涙が止まるまで、彼はそばにいてくれた。

そして、あの日のまま、わたしの時間は止まっている。
彼に出会うまでは、独りが淋しいなんて思ったことはなかった。
独りでも生きていけると信じていた。
だけど、彼に出会ってしまったから、独りで生きていく自信がなくなった。
愛されたいと願っている自分に気付いてしまったから。

ふっ、と自嘲してわたしは社屋を出た。

忙しい彼は、優しくしてくれた過去があることさえも忘れていることだろう。
これからも、わたしのことを思い出すことなんて、一度もないかもしれない。
教えてくれるのは仕事のやり方と人を愛する気持ちだけでよかったのに。
人に愛されたいと思う気持ちなんて知りたくなかった。
そうすれば、こんな惨めな気分にはならなかったのに。

だけど、彼に会わなければよかったなんて思えない。
彼に出会えたから、いまわたしはここにいる。
だから、明日を生きていける。そう思うから。

もう一度、彼にめぐりあえたら、ちゃんと伝えよう。
―わたしがこんな愛する人は、いままでもこれからも、貴方だけです―

♪ The Gospellers

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「おくちゃん、どうやった?」
新規先への訪問から帰ったわたしに一番に声をかけてくれたのは、
無邪気な笑顔がチャームポイントの山ちゃん。
表情や素行には幼さが残っているけれど、こういう時に、
彼は1歳上なんだなって感じる。
「熱心にこっちの話を聞いてくれるいい人だったよ。
 納入までにはもう少し時間がかかりそうだけど。」
クライアントからの製品についての質問に答えるための情報を得るために
PCを立ち上げながらわたしは答えた。
「ほんまか~。」
本社のデータベースにアクセスすると、質問の答えはすぐに見つかった。
"印刷"をクリックして、オフィスの隅にあるプリンタに足を向ける。
「で、どうやった?」
後ろから大きな歩みで近づいて来て、わたしの隣に並んだ山ちゃん。
「どうって?
 面会の感触はさっき話したとおりだけど」
プリンタが吐き出したペーパーの内容を確認する
わたしの手元をのぞきこむようにして山ちゃんはわたしとの距離を縮めた。
「若いって聞いたけど?」
あまりにも近くに山ちゃんの顔があって、びっくりしたわたしは思わず後じさりする。
「ほんま、おくちゃんは免疫ないな~」
仕方ないなという顔を見せて、山ちゃんは一歩下がった。
「で、角田さんってどんな人やったん?」
それまでのへらっとした笑いを消して、真面目な表情で訊ねられる。

「初恋の人に、ちょっと雰囲気が似てたかな。」
不自然な間は、わたしの返事に山ちゃんが驚いたからだろう。
「惚れた?」
表情が固まったのは一瞬で、いつものへらっとした笑顔の山ちゃん。
「それはない。」
わたしが笑うと、そか、と言って、山ちゃんは自分の仕事に戻っていった。

「惚れた?」と訊かれて、ドキッとした。
商談相手に初恋の相手をシンクロさせるなんて、許されることじゃない。
わたしのことを心配してくれているのがわかるから、
ときどき山ちゃんにはガードが低くなってしまう。
失言だったと後悔しても、もう遅い。





会議が長引いているからということで、応接室で30分待たされた。
訪問先で待たされることはこの業界では珍しいことじゃない。
アポイントなんてあってないようなものだ。
わたしは手元の資料を整理しながら角田さんを待っていた。
新規先だけど、クライアントの方から製品に興味があるから
説明に来て欲しいと言われたのだと上司からは聞いている。
だから、追い返されたりすることはないとはわかっていても、
やはり初回訪問は緊張する。
大きく息を吸い込んで肩の力を抜いたところで、応接室の重い扉が開いた。

「遅れてすみません。」
現れた角田さんのジャケットが少し乱れていた。
急いでここまで来てくれたのだろう。
「いえ。貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。」
立ち上がり最敬礼をすると、角田さんは少し驚いたような顔をして、
こちらこそと折り目正しい挨拶をして下さった。

すっと伸びた背筋
真剣な眼差し
熱い語り
少し疲れの滲む横顔

初恋のあの人に似ている。
そう感じた時から、初対面の緊張からではないドキドキがあったのは事実。
一瞬だけど仕事中にもかかわらず、角田さんのことなら好きになれるかもしれない
なんて不謹慎なことを思ってしまった。





山ちゃんに「惚れた?」と訊かれるそのときまで、
もしかしたら新しい恋ができるかもしれないとぼんやり思っていた。
それなのに「それはない」という言葉はあまりにも自然に
わたしの中から出てきてしまった。

確かに角田さんは、初恋の人に似ている。
けれど、会社に帰ってくるまでの間に思い出していたのは初恋の人のことだった。
彼もあんな風に笑っていたとか、すぐに熱く語り始めるから
周りからはMr.熱血なんて言われていたとか。
いま、彼もこんな風に仕事をしているのかな … とか。
彼のことを考えるだけで、自分の中に喜怒哀楽が生まれる。
感情を自分に運んでくるのは、たった一人、彼だけだ。

いっぱい傷ついたし、いっぱい傷つけたのに、自分の中で、
まだ初恋が終わっていないことを確認してしまった。
きっと山ちゃんも気付いてしまっただろう。
まだ過去に縋りつづけるわたしに。

山ちゃんなら傍にいて、優しくしてくれる。
わかっているのに、恋愛感情に発展しない。
わたしはいつまで初恋を引きずるつもりなんだろう。

「焦らんでええと思うで。おくちゃんはまだ運命の人に出会ってないだけやって。」
初恋の人以外を好きって思えないと打ち明けた夜、
山ちゃんは切なく笑ってくれた。
いつも明るい山ちゃんにつらい表情を強いているわたしは
「ありがとう」と言うことしか出来なかった。





はぁっと息を吐き出して、仕事モードに切り替える。

「おくちゃ~ん、これ、どうしたらええん?」
声に視線を向ければ、眉間に深く皺を刻んで、PCを睨みつけている山ちゃん。
「今度はなぁに?」
「俺、ITはめちゃくちゃ弱いねん。ちょい見てくれへん?」

わたしよりPCに詳しい人は他にたくさんいるのに、
山ちゃんが呼ぶのはいつもわたし。
オフィスにいるときはもちろん、その場にわたしがいなくても
わざわざ電話をかけてくることもしばしば。

その理由は考えないようにしている。
まだ、考えられないから。

「はいはい。」
角田さんに届ける書類を自分のデスクに置いて、
隣の山ちゃんのPCを覗き込むわたし。
そんなわたしたちを周りが呆れて見ているのも知っている。
みんなは山ちゃんがわたしに甘えてると思っているみたいで、
「おくちゃんはヤマのおかん(お母さん)やな~」なんて言ってるけれど、
真実は少し違う。
わたしがずるく山ちゃんに甘えている。

ごめんね、山ちゃん。
どんなに優しくしてくれても、わたしの一番近くにいるのは、初恋の人、なんだ。

♪ Joe


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今まで誰も愛したことがない、なんて真っ赤な嘘。
わたしの全てであの人を愛してた。

「俺のこと、好き?」
と自信なさそうに尋ねたあの人に
「わたしにとって貴方は一番」
と答えたことも。
勇気を振り絞って電話をかけた夜に
「いま、出かけるところだったんだよね。また今度、かけなおしてくれる?」
と気忙しそうに言われて
「声、聞けただけでいいから。おやすみなさい。」
と答えたことも。

嘘じゃなかった。

貴方が求める数だけ、好きって言ったし、一番って伝えた。
声聞けただけでいいなんて、俺ってまるでキムタクみたいだねって
貴方はおどけたけれど、わたしにとって、求めても届かない貴方は、
本当にキムタクみたいだったよ。

貴方を愛したことを後悔しているわけじゃない。
貴方を愛した想い出があるから、わたしは明日を迎えられる。

だけど、ごめん。
誰も愛せないって嘘を吐かせて。
寄せる想いが砕けるばかりだなんて他人に知られるのは寂しすぎるから。
愛したことはあるけれど、愛されたことのないわたしが惨め過ぎるから。

「俺のこと、好き?」
いま、同じように訊かれても、わたしは迷うことなく答えるよ。
「わたしにとって貴方は一番。他の誰かが何と言っても。」

だけどやっぱり、あの夏と同じように。
わたしは貴方との未来は選ばない。
だって、貴方にとってわたしは一番じゃないって知っているから。
そして貴方はわたしの永遠の恋人。

ねぇ、一番長続きする愛のカタチって知ってる?
それはね、片想いなんだよ。

♪ 松たか子

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